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ベトナム  2010年07月27日

     ベトナム国旗      ベトナム社会主義共和国      ベトナム国章
            国旗                                       国章

通称ベトナム、漢字では「越南」(えつなん)は、東アジア・東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家。
国土は南北に長く、北に中華人民共和国と西にラオス、カンボジアと国境を接し、東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。首都はハノイ。

mapベトナム

1887年:フランス領インドシナの成立(フランスによる植民地化)。
1945年:保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助下でベトナム帝国の独立を宣言。
     :ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命)。
     :ベトナム民主共和国の樹立を宣言、ほー・チ・ミンが初代大統領に就任。
1946年:ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突。
     :フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
1949年:フランスはサイゴンにバイダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。
1954年:ヂィエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、ジュネーブ協定を結び、ベトナムから
      撤退、独立戦争終結。
      同時に北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国
     (南ベトナム)に分断される。
      南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ジン・ジェムがヂ棟梁に就任、国名をベトナム
      共和国にする
1960年:南ベトナム解放民族戦線結成。
1962年:アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争(第二次インドシナ
      戦争)が始まる。
1964年:トンキン湾事件。以降1973年まで米軍が戦争に直接介入。
1965年:アメリカは来たベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入。
1968年:南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける。
1972年:アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開。
1975年:北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムのズオン・バン・ミン
      大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。
      南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握、ベトナム戦争終結。

ベトナムには今でもベトナム戦争の痛々しい爪跡の証拠である資料館がある。

現国家元首はグエン・ミン・チェットであり、政府首相はグエン・タン・ズン。
建国以来一貫して集団指導による国家運営を行っており、故ホー・チ・ミン主席も独裁的な権力を有したことは無く、ベトナム戦争中の一時期には失脚に近い状態にあったとも言われている。政府の運営は極めて官僚的であり、同じく一党独裁国である中華人民共和国に類似している。
反政府組織は今なおベトナム共和国時代の対立を解消できておらず、1960年代に南ベトナムからの独立を企てた諸民族の抵抗組織フルロ(FULRO)関係者はこれらの組織とは対立関係に有り、各組織の力を一つに集めることが出来るリーダーシップを有した指導者が存在しない。
また、1975年のベトナム共和国消滅から30年以上経ち世代ごとの反共主義に対する考え方の違いが鮮明になりつつあることから、最近では必ずしも亡命ベトナム人の間で反政府組織が支持されるとは限らなくなっている。

日本とのかかわり方は  ホイアンの日本橋
                          ホイアンの日本橋

1940年に日本軍は北部仏印心進駐を行い、1941年には南部にも進駐した。
日本軍は太平洋戦争末期までインドシナ植民地政府と共存していた。その後日本軍は1945年にクーデターによりフランスの植民地政府を解体し、ベトナムを名目的に独立させた。
1951年に日本政府はベトナム国(南ベトナム)と平和条約を締結し、1959年には岸信介首相(当時)がベトナム共和国政府と140億円の戦争賠償支払いで合意した。一方ベトナム民主共和国(北ベトナム)は戦争賠償の請求権を留保したが、1973年に外交関係が樹立するまで日本と北ベトナムは国交の無い状況が続いた。
近年、日本企業のベトナム進出が相次いでいるが、その要因として中国の半分から3分の1ともいわれる賃金、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の推進に伴ってASEAN域内への輸出拡大が見込める点、さらには中国一極集中のリスク回避などが挙げられる。
2007年にはベトナム南北に縦貫する高速鉄道の建設に向けて両国間で共同委員会が設けられた。
2010年には前原誠司国土交通大臣がベトナム政府へ「日本の新幹線方式」の売込みをした。
新幹線

ベトナム政府は承認したものの、ベトナムの国会では総投資額540億ドルという「巨額」がネックとなり、6月19日のベトナム国会にてこれらの政府案は否決された。ベトナム政府は議会の説得の為、もう一度国会に諮る方針である。

ベトナムではホンダが・・・   ホンダスーパーカブ

ベトナム国内ではホンダのスーパーカブをよく見かける。これは1970年代以降のベトナムにおいて、この種のビジネスバイクを普及させる端緒ともなった存在で、扱いやすさや燃費、修理のしやすさや経済性のみならず、
本田技研工業の想定範囲や先進国の安全常識では到底考えられない異常な酷使、過積載(「100kg単位」での重貨物搭載や、子供まで含めての3人乗り、4人乗りといった曲乗り状態も珍しくない)にも耐える高い信頼性によって、オートバイを生活の道具として重要視するベトナムのユーザーから強い支持を得ている。
なお、ベトナム国内に類似デザイン・類似設計の後発競合車種(ヤマハのメイト、スズキのバーヂィなど)が多数存在するが、知名度の点でもホンダのスーパーカブが圧倒的に優る。ベトナムではオートバイは全て(一般名詞として)「ホンダ」と呼ばれており、例えばヤマハのオートバイを「ヤマハのホンダ・・・」といった使われ方がされている。また、ベトナムの国営放送VTVでも本田技研工業は日本企業として唯一TVCMを放映しており、ベトナム国内において圧倒的な企業ブランドを構築している。

ベトナムコーヒー
コーヒーは現在ではブラジルに次ぎ、世界第二位の生産量(99万トン、2003年)に達している。大部分がインスタントコーヒー等に使われている安価なロブスタ種であるが、レギュラーコーヒーに使われる高級品のアラビカ種の栽培も始まっている。基本的に植民地支配を受けたフランスの手法を取り入れた飲み方にてベトナムコーヒーが飲まれる。
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  市場のコーヒー売り場

その他
民族構成はベト人(90%)、その他ホア族、タイ人、クメール人などの53の少数民族がいる。
言語はベトナム語が公用語である。フランス領インドシナ時代の影響から少数のエリート層や老人の間ではフランス語も理解できる人もいる。

フエの建造物
    フエの建造物

ベトナムの人達は母なる河メコンで上手に水上生活をしている。
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        水上住宅                水上教室

民族衣装のアオザイが優雅で女性らしい。
民族衣装アオザイ  ベトナム 008_640

宗教は仏教であるが共産党員はホーチミン元国家主席のみを信仰する傾向がある。ホーチミン信仰は宗教ではないがそれに匹敵する影響力を有する。
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郵便局にベトナムの象徴としてホーチミンの肖像が飾ってある。
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